今日は、72回目の終戦の日です。
今の若い人で知らない人も多くなってきたとか。
ちょっと嘆かわしい・・・。
まあ、それはさておきまして、
終戦の日とありますが、厳密に言えばこの日に戦争が終わった訳じゃありません。
正式に大東亜戦争が終わった日というのは昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約になります。
講和・・・平和条約とも言ったりしますが、戦争をしてた当事国同士がお互いに条件を飲んで和解することです。
では終戦の日とはなんぞや?と言えば、これは「戦闘行為を止めた日」となります。
日本は連合国が出した条件を受け入れますよ。
「ポツダム宣言受諾」というやつです。
しかしこれも正しくはありません。
15日の前にはすでにポツダム宣言を受け入れていましたから。
ではこの日に何があったかと言うと、それは「玉音放送」です。
玉音・・・天皇のお声のことですね。
あの耐え難きを耐え忍び難きを忍びってやつです。
あの放送が15日の正午にあったからこそ日本の終戦の日は8月15日になってます。
この玉音放送というのは異例中の異例でして、天皇が直接国民に語りかけることなど一切ありません。
現在まででもこの終戦の時と東日本大震災、そして譲位に関するビデオレターの3回のみです。
当時は録音したレコードを再生し、それをラジオで流してたため音の状況も悪く、文章が難しいのもあったので聞き取れない人が大半だったそうです。
初めて聴く天皇のお声と聞き取りにくいラジオ放送・・・この放送が終戦を意味すると分かった人はそんなに多くはなかったとか。
しかし日本始まって以来初めての玉音放送で、しかもなるべく多くの国民が聴くようにとお触れが出ていたので何となくは分かったそうです。
その放送後、特別に遅らせていた新聞の朝刊を昼に配達することになっていたため、すぐに敗戦の事実を知ったそうです。
さて、この玉音放送、何が一番言いたかったのかと言えば、それは「国体の護持」です。
国体とは日本の伝統や日本人のアイデンティティとでも言いましょうか。
この戦争に降伏しても国体は護れるから心配しなくていいよ。
ということです。
天皇はどこまでも国民のためを想っていたからこそ、日本人にとってはこの日が終戦の日になりました。
なんか書いててとりとめも無くなってきましたが、
去年も書いたかも知れませんが、我が国を守るために散っていかれた英霊の方々に深く感謝を捧げたいと思います。