昭和12年7月7日、盧溝橋(ろこうきょう)事件があった日です。
いわゆる「日中戦争」、正しくは「支那事変」と言いますが、この支那事変の発端となった事件です。
ちなみに、このときまだ中華人民共和国という国は存在しないため日中戦争という言い方は正しくありません。
日本で言う中国とは山陽・山陰地方のことを指します。
当時の呼び方からしても日支事変とか日華事変とか呼称しており、いずれにしろ「中国」なんて言葉は使っていません。
盧溝橋とは支那の盧溝という河に架かってた橋のことです。
ここで日本軍は実弾を持たず夜間軍事演習中でした。
そしてそこに銃弾が撃ち込まれます。
真っ暗闇の中、丸腰で銃撃を受ける・・・。
とにかく身を守ることで精一杯です。
同じ頃、近くには蒋介石率いる国民党軍も演習中でした。
そしてこの国民党軍にも銃弾が撃ち込まれます。
国民党軍は当初日本軍の仕業だと思い込んでましたが、後日和解したときに、丸腰だったためそれは無理だということが分かりました。
日本軍側も国民党軍からの銃撃と思いましたが、違いました。
銃撃されてすぐ次の日、毛沢東率いる共産党が、「突然日本軍が人民に対して攻撃を開始したのでみんなで一丸となって立ち向かおう!」みたいな意味の「対日全面抗戦」を呼び掛け始めました。
・・・しかし日本軍は何もしてません。というより武装してないので出来ません。
もうお分かりだと思いますが、共産党の工作だった訳です。
ちなみにこの共産党と日本共産党ってのは根っこは同じです。
ソ連の子分ですからね。
日本共産党って言ってるのは共産党の日本支部というような意味合いです。
だから日本共産党は日本を解体するのが最終目標です。
支那共産党はこの2つの軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたわけです。
この時は失敗に終わったかのように思えましたが、結果的にはこの事件以来日本と支那(国民党)の軋轢は増していったので成功と言えます。
中華人民共和国建国しましたしね。
よく日本は侵略したから謝れとか言われますが冗談じゃありません。
当時日本軍は15万人ほどでしたが、支那は国民党軍だけで210万人いました。
戦力差10倍以上違うのに侵略なんてできません。
もっと知りたい方はいろいろ調べてみてくださいませ。
簡単にではありますが支那事変についてでした。m(_ _)m